橘寺を出た頃がお昼時になったので、地元で人気の懐石料理のお店「神籬(ひもろぎ)」に行ってみることにしました。このお店のことを紹介してくださったのは、友人の映像作家・竹浪明さん&画家・松岡芽ぶきさん。お二人のおすすめなので行く前からとても楽しみにしていたのですが、期待以上に素晴しい料理に大満足でした♪
私たちが頼んだのは「季節の会席」。どれも美味しかったけど、中でも天ぷらが格別に美味しかった。薄い衣がさくっとししていて、絶妙な揚げ具合。どの品も、ひとつひとつに心がこもっていて、とても丁寧に手間をかけて作られていると感じます。料理の器も見せ方もとても美しいし、お店の方の対応もあたたかい。
惜しむらくは、名物の「茶粥」がこの日はなかったこと・・・。餅米を炊いたご飯も美味しかったけど。次回飛鳥に行く時は、必ずここの茶粥を食べてみたいです。
お腹いっぱいになったところで、「神籬」のすぐ向かいにある飛鳥坐神社へ。この神社の創建については、諸説あって不明なことが多いようですが、『日本書紀』によればその始まりは686年に遡るとのこと。折口信夫の祖父がこの神社の宮司だったそうです。
飛鳥坐神社では、毎年2月の第一日曜日、天下の奇祭と名高い「おんだ祭り」が催されます。どんな奇祭なのか・・・興味ある方はこちらご覧ください→b9spot.nobody.jp/nara/onda/
そして、境内のあちこちにこのような陰陽石が点在しています。なぜここに陰陽石がたくさんあるのかよくわからないのですが、飛鳥各所の道端や境界で道祖神として祀られていたものがここに移されたのではないか、と考えられているようです。
こちらもなかなか立派。これを最初に見つけた人はさぞや興奮したことでしょう。。(笑)
飛鳥坐神社の脇道を進んでいったら、たまたま出会った藤原鎌足公誕生地「大原神社」。見過ごしてしまいそうな、とても小さな敷地。もう少し手入れしてあげた方がいいのでは?と同情してしまったほど、社は寂しく朽ちています。世の無常を感じますね。。
そして、大原神社の奥の細道を降りていった先にある「鎌足の産湯の井戸」。周りは荒れ地のようになっていて、云われについての案内板とか何もない状態...。
次の向かったのは「岡寺」。西国第七番札所であり、日本最初の厄除け霊場。ここへ辿りつまでの坂道が、自転車で行くのはかなりきつかった。。でも苦労した甲斐あって、なかなか見応えのあるお寺でした。
山の斜面に切り込むように寺社が建てられています。本堂自体よりも、周りを囲う山々の景観と一体になった佇まいに風情を感じます。
本堂の先にある石段を上がっていくと、そこから先はどんよりと暗い山道になっていて、途中に稲荷神社、更にその先には「奥之院石窟」がありました。
石窟の入口は大人一人がやっと入れるくらいの大きさで、奥行きは意外に深い。その奥には弥勒菩薩の石仏が鎮座していました。
奥之院石窟の手前にいたお地蔵さん。緑の苔の衣をまとっていてとても素敵でした。
一夜明け、この日は朝から飛鳥めぐり。空はまだどんよりとしていましたが、雨はすっかり上がっていました。レンタサイクルを借りて、最初に向かったのは高松塚古墳。丘稜の坂道を越えて行くと、いかにも飛鳥らしい美しい風景が広がっていました。
これがその高松塚古墳。意外な程にこじんまりとした印象。。
高松塚古墳と同じ飛鳥歴史公園内にある中尾山古墳。八角形の墳丘をもつ古墳で被葬者は不明。文武天皇陸との説も。坂を上りきったところにあります。自転車で上るのはかなりハード。
これがかの有名な「亀石」。確かに亀だ。。。(笑)。なんとも愛嬌のある、かわいい顔をしてますよね。道路から少し入ったところ、民家の並びにぽつんとあってびっくりでした。隣の敷地には地元野菜の無人販売コーナーがありました。。
「亀石」には、こんな言い伝えがあるそうです。大昔、大和が湖であった頃、対岸の當麻と川原の間に喧嘩が起こった。結果、湖の水を當麻にとられてしまい、たくさんの亀が死んでしまった。その供養として村人たちが作ったのがこの亀石なんだとか。亀石が再び西を向いたとき、災いが起きると云われているそうです。
ところで、「當麻」という言葉に、またここでも出会いました。。やはりもう一度當麻をじっくり回ってみたくなってきました。
亀石のある細道の先に、聖徳太子誕生の地に建てられた(と云われている)「橘寺」がありました。田園の中にぽつんとある光景はあまりにも地味で、「ここが本当に??」と思ってしまいます...。押し付けがましさがないところが、奈良の良いところ。
橘寺は、太子建立7寺の一つとされています。本堂に祀られるのは聖徳太子坐像。創建は奈良時代ですが火事で焼失してしまい、現存する寺社は江戸時代に再建されたものなのだそうです。見るべきものは少ないのですが、この地で幼少の聖徳太子が過ごしたかと思うと感慨深い。
境内にはこれまた不思議な様相の「2面石」がありました。私の持ってるガイドブックでは聖徳太子のことより、この二面石をピックアップしてました(笑)。
聖倉殿(収蔵庫)の前にこんな万葉歌碑がありました。
「橘の寺の長屋に吾率宿し童女放髪はあけつらむか」巻16-382(作者不詳)
・・・橘寺の長屋で一緒に寝た、あの振り分け髪の少女は、今はもう大人になっているであろうか・・・の意。なんだかちょっと(かなり?)意味深だけど...(^^;)。ノスタルジックな情感を感じる素敵な歌だと私は思う。
當麻寺の最寄り駅に戻ってきた頃は、もうすっかり日が落ちて暗くなっていました。急いで明日香村へ移動。この日の宿は「民宿 脇本利夫」。飛鳥の民宿のほとんどは、実際の民家を利用させていただいているのです。
今回泊めていただいた脇本さんのお宅には、なんと築250年の母屋がありました。 実際に私たちが泊めていただく部屋は、敷地内の離れにある一軒家。部屋は15畳くらいあったでしょうか。とてもきれいにしてあって、そこらの旅館よりはるかに快適な設備。しかもその日の泊まり客は私たちだけだったので、離れ一軒を貸し切りで使わせていただいたのです。。。
楽しみにしていた夕飯は、飛鳥名物の「飛鳥鍋」。鶏ガラ出しをベースに牛乳を入れた鍋なのです。ぱっと見は「大丈夫かな...?」と思ってしまいますが(笑)、牛乳の臭みはまったくなくて、後味あっさりでとても美味しい。 飛鳥時代に唐から来た僧侶が、寒さをしのぐためにヤギの乳で鍋料理を作ったのが始まりとされるいるそうです。確かに、食べているうちにポカポカと体が暖まってきます。飛鳥鍋の作り方は、各家庭やお店によって多少違うらしく、また他のお店でも食べてみたいと思う程、美味しい鍋料理でしたよ。
奈良と言えば、やっぱり春鹿! 部屋に戻ってから、春鹿の濁りでちょっとだけ晩酌♪
脇本邸は、「民宿」という言葉が不釣り合いに思わずにいられない、本当に立派なお屋敷。母屋で食事させていただくのですが、家の中には貴重な書画や骨董品がたくさん。。歴史を感じる、素晴しい古民家でした。
とっても心地よく過ごさせていただいて、朝・夕二食付きで一泊6,000円という安さ(飛鳥の民宿はどこでも共通の料金)。しかも高松塚古墳に近く、天武・持統天皇陵のすぐ隣りという素晴しい立地。
上左の写真は、脇本邸を外の通りから眺めたところ。右は「天武・持統天皇陵」。
「天武・持統天皇陵」は、めずらしく被葬者が確定している古墳。天武天皇とその皇后・持統天皇が合葬されています。
持統天皇は自分の子・草壁皇子に皇位継承させようとし、人望厚く才知の秀でた大津皇子を陰謀により失脚させます。計画通り、草壁皇子は皇太子となりますが、皇位を継承する前に20代半ばの若さで他界してしまいます。一方、謀反を企てたと罪を着せられ処刑された大津皇子は、その後、當麻の二上山に葬られるのです。前日に見たあの二上山に、その大津皇子が眠っているのだと思うと、なんだか感慨深い気持ちになりました。いつか二上山にも登ってみなければ。。