昨年の暮れに、WNSというDV(ドメスティック・バイオレンス)被害者支援のNPOの方から印刷物の相談を受けて、仕事として(半分ボランティア)お手伝いさせていただくことになった。先日(2004年3月4日)はそのWNS主催のシンポジウムがあって、私もお手伝いとして参加して来た。
正直な話、私はDVについて特別関心を持っていたわけではないし、TV等で聞きかじる程度の知識しかなかった。しかし今回のシンポジウムに参加して、たくさんの刺激を受け、私自身いろんなことを考えさせられる機会になった。パネリストのスピーチは非常に内容が濃いもので、被害者カウンセリングの立場からの現状分析や、精神分析の見地からのかなり踏み込んだ話を聞くことができた。全国の自治体の関係機関からの参加者も多く、当日はNHKのカメラも入っていて、この問題が今日、非常に重要なテーマになってきていることを肌で感じることができた。
「DVの問題は、人間の根源に関わる問題なので、犠牲者も加害者もその対人関係ではあからさまな怒りや悲しみといった感情を、ゆがんだ形で表現することが多いのです」(野間メンタルヘルスクリニック院長・野間和子)。自分が生まれ育った家庭内で何らかのメンタルな傷を負ってしまった人や、現在自分が所属している環境の中で過度なストレスが蓄積されていった人達が、自分の内側にある問題・葛藤を非常に激しい形で露出してしまう場面があるのだそうだ。そしてそれは自分の身近な人に愛憎が裏返った形で影響をおよぼしてしまうケースが多い。その程度によって、私たちはそれを「DV」と呼んだり、単に「ストレス」の問題と言ってみたりはしているが、実際にはその問題の根は同じところにある。つまりDVの問題とは、特殊な人達の閉じられた関係の中で起きているのではなく、私たち自身の日常的な対人関係、コミュニケーションのあり方に及んでいるのだろう……。
日本国内ではやっと「DV」という言葉が認知されたばかりで、現場の状況に言葉の定義が追い付いていない。先頃やっと法的な整備としてDV防止法が施行されたばかりで、狭義に「配偶者ないしは恋人からの暴力」という範囲でしか認知されていない。欧米では、女性だけでなく、子供・高齢者・ペットに対する暴力も、DVの問題として取り組む体制にあるようだ。非常に重要なことは、DVは連鎖していくものであり、世代間にわたる問題であり、その連鎖を断ち切らない限りこの問題は終らないし、これからいっそう深刻になる。DVが起きている家庭で育った子供が、自我の形成過程で心理的な傷を負い、そのことが何かのきっかけで非常にゆがんだ形で表れて、今度は自分がDV加害者となってしまうケースがあるのだそうだ。また、夫からの暴力を受け続けたDV被害者が、自分の子供に対して暴力を振い、DV加害者の側になってしまうケースもあるそうである。今日起きている様々な残酷な事件、幼い子供への信じられないような虐待の話から、逆に子供が親を殺してしまう事件、そして正義を掲げた戦争という最大級の暴力、報復としてのテロ行為、その結果として広範な人々に及ぼす影響、くり返される不幸---みんなこの「DV」の問題とつながっているのだと思う。
「今や暴力は、DNAの問題ではなく、環境から学ぶものだと言われてます。本人の意志に関係なく、暴力が伝達されること、そして、また望むならばその受け取った暴力的なあり方を捨て去ることができるのです。」(同上、野間和子)---人間は生まれ育った環境の中で様々な情報を受け取って、自分の自我というものを形成していく。その情報の中には、生きていく上で「負」の方向に(本人の意志に関わらず)働いてしまうものも含まれる。誰もが様々な性質の情報を蓄積し、自分を形成する材料とし、バランスを取って成長していく。ところがその「負」の情報が、自分を思わぬ行動に暴走させてしまうことがある。他人に対する暴力という現れ方する人もいるし、自分に対する攻撃へと向かい、自傷する場合もある……。でも肝心なことは、その人が持って生まれた資質や育った環境の中で集積された情報だけが自分を決定するのではない、人間誰もが、自分の内側を形成している情報を日々更新し書き換える能力を持っている、ということなのである。
では、どうやって、自分で自分自身を更新していけるか、成長していけるか? 「一緒に考えて、ストロークの交換をできる仲間が大事」と野間和子さんは語っていた。---ストロークというのは《その人を認め、評価を与える(言語的・非言語的、身体的・精神的、肯定的・否定的等全て含む)行為》ということらしい。やはり、日常的な人と人との関わり方が大切。そして、人に何か期待するだけでなく、自分も人に「与える」努力をしていくが大事、ということなのだろう。
今回のシンポジウムでは、私自身、本当にいろいろ考えさせられた。今回のレジュメの中で、とても印象に残った言葉があったので引用しておく。
「あなたがそっとやさしく触れてくれたなら、
あなたがわたしのほうを向いてほほえみかけてくれたなら、
あなたがときどき、あなたが話す前にわたしの話を聞いてくれたなら、
わたしは成長するでしょう。本当に成長するでしょう・・・」
ブラッドレー(9歳)