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ふたりのチヒョルト

『イワンとヤン・ふたりのチヒョルト』(片塩二朗、朗文堂)という本を読み終えた。1920〜30年代に活躍したドイツ人のタイプグラファー・チヒョルトに焦点を当てながら、モダニズム造形運動について検証した本だ。

20世紀初頭に様々な分野で新しい視点に立った芸術運動が展開され、書籍形成法としてのタイポグラフィも、この時代状況を受けて大きな変革の波にさらされた。チヒョルトが提唱した「ノイエ・タイポグラフィ」はもっとも強い運動勢力となり、その後のグラフィックデザインにとても大きな影響を残すことになる。しかし第二次大戦という不幸な時代に、ナチの宣伝美術にその技法が利用されることとなり、図らずも深刻で暗い歴史の一端を担うことにもなってしまった。
チヒョルトはスイスに逃れ、戦後になってまったく違うスタイルのタイポグラフィの定義に基づいた仕事を始める。「進歩と改革」を礼賛するモダニストの立場を捨て、「伝統と調和」を重んじる立場に転向したのだ。「ノイエ(新しい)・タイポグラフィ」のリーダーであったはずのチヒョルトの、突然の変わり様に、周囲の人達は一斉に非難を浴びせかけ、有名な「マックス・ビルとの論争」へと発展するのである。

あくまでモダニズムの立場に立って「ノイエ・タイポグラフィ」の理論の正当性と有効性を訴える若き芸術家、マックス・ビル。そして持論の障害となるチヒョルトを徹底的に非難する挑発的な論文を発表する。それに対してチヒョルトは、「ノイエ・タイポグラフィの信仰と真実」と題された論文で反論する。そこには、「進歩」に対する盲目的な信仰が歴史的な悲劇を生み、変革への性急な態度が多くの伝統的な優れた技能を破壊し、有能な職人達から仕事に対する誇りと喜びを奪ってしまったことへの反省が、自ら体験に基づいた重みのある言葉でしっかりと綴られるていたのである。その思慮深い論旨と確固たる態度に、私は大変な感銘を受けた。

私はこのような論争があったことを知らなかったのだけれど、この本を読んで、日本と西欧諸国のグラフィックデザインの「質」の違いがどこから生じているのか、その一端を少しだけ知ることができた気がする。西欧ではこのような論争をいくつも積み上げてきたからこそ、「デザイン」というものへの社会的な位置付けが徐々に確立されていったのだろう。日本では理論構築への意志が浅く、歴史的な観点から考察する視点も欠落してしまったために、フワフワとした上辺だけの「デザイン感覚」ばかりが蔓延してしまい、「技術」としてのしっかりとした足場を持たないまま、今日に至ってしまったのではないだろうか。

私たちに周りには、「デザイン」をかこつけた醜悪なものが、あまりにも多すぎる。街を見渡すと、ゾッとする程出来の悪い看板やポスター、印刷物が溢れかえっている。どれも押し付けがましくって品がなく、むやみに騒々しい印象をまき散らす。新しさや奇抜さばかりを際立たせることがデザインの仕事ではなかったはずだ。物と人との関係に、どのような調和を与えうるか、それがデザインというものの本来の役割ではなかっただろうか。今日の社会の中でのデザインの位置付け、デザインというものの基本的な機能・役割を、もう一度捉え直していく作業が必要なんだと感じる。

紙一枚にも、文字のひとつとっても、それぞれに歴史があり、文化がある。古いものが必ずしも正しいわけではないのだけれど、伝統的な技術には理に叶った、確かな調和の世界がある。そこに学ぶ謙虚な気持ちを忘れてはいけないと思う。一度失った技術は、もう戻っては来ないのだから。