1995年のインド映画『ポンベイ』を観た。ヒンドゥー教徒の主人公とイスラム教徒のヒロインが、周囲の反対を押し切って結婚する。自立して幸せな家庭を築くが、1992〜3年のヒンドゥーとムスリムとの武力衝突に家族が巻き込まれる悲劇を描いた作品。
映画としても洗練されていて、そのドラマティックな展開にとても胸を打たれる。うっとりするほど美しいシーンがたくさんあるのだけれど、もう一方で描かれる暴徒の凄まじさに、だんだん心寒い気持ちにもなってきた。単にスクリーンの中での出来事して楽しんでいられなくなった。この余りに悲惨な歴史上の事件に、「どうして?」と思わずにいられない。
この事件の史実について、私はほとんどその知識がない。正直な話、アジア諸国の社会情勢に疎いし、それぞれの歴史や文化のことを、さほど深く知ろうともせず今まで過ごしてきた。「宗教対立」という言葉を聞くとすぐに、「ああ、また始まった。なんて厄介な問題」と思ってしまう。私だけでなくたいていの日本人がそうなんだろう。でも実際に起きている「対立」の中身やその社会的な背景をきちんと見ていくと、きっと違う局面が見えてくるに違いない。最近そのことを反省していて、「中東」と呼ばれてしまう国々のことも、イスラムのことなども、もう少しちゃんと知っておきたい思うようになった。同じアジアの住人として、風土や歴史、習慣や宗教が違っても、もっと深いところで理解し合えることがたくさんあるはずなんだから。
先週日曜日も『いまイスラム社会の映画から見えてくるもの』という講演を聞きに行った。その時の講師ナギザデ・モハマッド氏が、熱のこもった声でこんなことを語っていた---
「皆さんはすぐにイスラム世界ってひとまとめに言うけれど、たとえば西洋人が日本人のことを知ろうと思って仏教を勉強したって、日本人を理解したってことにはならないでしょう。イスラムを信仰してる人達も、みんなそれぞれいろんな価値観があって、いろんな生き方をしてるんです」
「大国が唱える”グローバリズム”という一元的なシステムではなく、多様な価値を認め合える多元的な世界を構築しないといけない。それが私たちにとっての幸せな世界を築くための第一歩です」
アラビア語の「イスラム」という言葉は「平和」を意味する「サラーム」という言葉から派生しているのだそうだ。しかし多くの日本人がイスラムの世界に対して抱くイメージは、「物騒な宗教」「怖い宗教」というものでしかない。わたしたちは彼らのことを、実際何も知らずにいたんだと思う。このような知識の欠如、無関心、配慮のなさが、すべての諍いの根幹にあるんだと思う。
「イスラム」とか「中東」といった、大雑把な概念を物差にするのではなく、その国のこと、その土地のこと、そこに住む人々のこと、その一つ一つにまなざしを寄せることが大事なんだろう。あらためてそんなことを、思い直したりした。
(2002/3)