テレビをつけたら『フォレスト・ガンプ』がやっていた。散らかった部屋を片しながら、どうでもいい気分で観ていたら、思いがけず面白くて見入ってしまった。この映画の公開当時、世間でやたら騒がれていたけれど、私はとても観る気になれなかった。全く関心がなかったので内容も知らなかった。卓球に汗を流す青春映画かと思っていたらまったく違っていて、きちんとしたテーマ性のある作品だった。とてもよくできた映画。私はよく知らないのだけれど、この映画の公開当時、この作品本来の意図について、ちゃんとした紹介のされ方をしてただろうか。だいたい「一期一会」なんていう余計な副題をつけるからうさん臭く感じてしまうのだ。「一期一会」という言葉とこの作品との関わりが、私は今にいたってもまったく理解できない。
この映画のことをもう少し知っておきたいと思って、ネットで検索をかけたら、その原作についての文章をつづっている人がいた。その人はこの作品を、「ほらふき男爵の冒険」の現代版---と解釈していて、その言及は私も的を得てると思った。
この作品の主人公がアメリカンドリームを実現していくストーリーは、映画の中でも主人公が語る「ほら話」として扱われている。映画という虚構の世界の中に、また虚構の世界が内包される。その仕組みに気がついてはじめて、この作品本来のテーマが見えてくる。あのとてつもない「ほら話」を紡ぎ出す能力によって、主人公は最愛の人と再会する運命を引き寄せる。私たちの日常的な価値観や常識の世界から、ついに抜け出してしまうのだ。何よりそのことに感動させられる。
「ほら話」を紡ぐ能力とは、「夢」を見続ける力なのだと私は思う。「現実」という名の鋳型に「夢」を押し込んでしまうしまうのではなく、私たちが頑固に「夢」を見続けることによって、「現実」の世界を編み変えていく。そのような壮大な試みだと思う。
この映画の原作を読んでみたいと思った。