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「大阪空襲死没者を追悼し平和を祈念する場」モニュメント

「大阪空襲死没者を追悼し平和を祈念する場」モニュメントの制作に参加させていただきました。
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【ピースおおさか・整備計画の概要】
第二次世界大戦末期の大阪空襲により、大阪府では死者12,620人、行方不明者2,173人の被害があったと言われている(1945年大阪府警察局調べ)。戦後、遺族を中心とした市民団体や一部の自治体で大阪空襲死没者の氏名等の収集が行われ、1999年には約6,000名分の名簿が大阪国際平和センターに寄託された。同センターでは、この名簿などを基に大阪空襲による死没者の本格的な調査を行い、現在、8,816名の氏名等が判明し、「大阪空襲死没者名簿」を展示している。これを機会に、この名簿を収納するとともに、大阪空襲で亡くなられた方々を追悼し恒久平和を祈念する「場」の設置を望む声が多方面から寄せられた。この結果、府民・市民の皆様はじめ遺族や各種団体から、多くの貴重な浄財が寄せられ、また各方面の方々のご協力・ご支援により、戦後60年にあたる2005年8月に完成を見た。
この場を訪れた人々の安らぎの場となるとともに、大阪空襲による多数の犠牲者へ哀悼の誠を捧げ、恒久平和への新たな取組みが広く発信される場となるよう、特に次世代を担う子供たちへ、戦争の悲惨さと平和の尊さについて語り継ぐための強いメッセージとなるよう、願い込めて粟津潔がトータルデザインを行った。

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このモニュメントのトータルデザインは粟津潔先生が行っています。数年前から準備が進められ、この度完成の日を迎えました。このモニュメントの中に戦没者一人ひとりのお名前が刻まれた銅版が3枚設置されているのですが、私が担当したのは、その銅板部分の版下作成でした。デザイン的な要素にも配慮しながら9000名分の名前を配置するのは、当初の予想以上に大変な作業でした。作字しないといけない旧字もたくさんありましたし、“万葉がな”などという非常にイレギュラーな文字を作成してデータに入れ込んだりもしました。誤字やデータの不備が起きないことを大前提に細心の注意をはらって作業を進め、また読みやすさや、全体のバランス、デザイン的にも見栄えのするように工夫を凝らし、精いっぱいのことをしたつもりでいます。


この銅板に、大阪空襲で亡くなられた方(その内名前がわかった方)およそ9000名のお名前が刻まれています。今回のこの記念碑には、○○○○○名の方が亡くなられた、という数字だけではなくて、空襲の犠牲者ひとり一人のお名前が刻まれたことに、大きな意義があったのだと思います。式典に訪れたご遺族の方達が、名盤の中に御身内の方の名前を見いだして喜んでいらっしゃる姿を見て、私自身もとても胸が熱くなりました。御身内の名前の部分を、携帯のカメラで撮影している方、指差しながらご遺族の方同士でずっと何か話し込んでいる方、涙を浮かべて銅板の名前の辺りを何度も触っていらっしゃる方・・・・いろんな方がいらっしゃいました。こうやって記念碑に名前が刻まれたとが、ご遺族の方たちにとって、特別な意味があるだと、あらためて知ることができました。

写真でうまく雰囲気が伝えられるかどうかわかりませんが、本当に素敵なデザインのモニュメントが出来上がりました。
完成式典当日はご遺族や関係者が大勢集まり、またたくさんのTV局、新聞社からの記者やカメラマンが取材に来ていました。地元大阪の方々がこの記念碑への寄せる関心の高さ、ご遺族の方々の永年の想いを、肌で感じた瞬間でした。

 
 

このモニュメントのように、戦争での犠牲者ひとり一人のお名前が記念碑に刻まれるケースは、沖縄の平和記念公園の「平和の礎」(沖縄戦の犠牲者すべての名前を刻んでいる)以外に、全国でもほとんど例がないことらしいです。できればこの記念碑が一つのきっかけになって、全国のいろんなところに同様の記念碑が建設されていけばと願います。今回の式典の場に立ち会って、ご遺族の方々が心から喜んでいらっしゃる姿を見て、切にそう思いました。


“ピースおおさか”に行かれる機会がある方も、ぜひご覧いただけますか。

■ピースおおさか (財団法人大阪国際平和センター)
大阪府大阪市中央区大阪城2番1号 TEL (06)6947-7208
http://mic.e-osaka.ne.jp/peace/