調べ事をしていて古いデータを探っていたら、ずっと昔に綴っていた日記コンテンツのデータが出てきて。そこにこんなことが綴ってあった。2001年に綴った文面なんだけど、自分にとっての今の立ち位置の原点みたいなものだなぁって思ったので、忘備録として転載しておく。
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■2001年10月23日(火)
高校の時分から、日々思いついたことを書き留めていたノートがある。連日家にこもっての単調な作業で少し気がめいってきて、なんとなくその古いノートを開いてみた。そしたらその最初の1ページ目に、「坂口尚の作品に出会って感激した」内容が書き綴ってあった。1983年7月の日付け。なんだかとても不思議な気がする。あれから18年の間に私は私なりに、いろんなものからたくさん影響を受けてきたし、いろんな人と出会ったし、ものを考えてきたし、良いことも悪いことも経験した。それでも結局同じような場所に立っている自分に気づく。
あれからまったく成長していないのだろうか。何ひとつ新しいことを学んでいなかったのだろうか?‥‥いや、きっとそうではないだろう。あれからずっと、同じものみつめてきたんだと思う。ここに踏み止まってきたんだと思う。
1983年の夏。私は自分にとって転機となる、二つの大事なものに出会った。そのひとつが、坂口さんの作品の中に描かれた世界だった。それが何なのか、私には言葉で言い表せない。坂口さん本人は、作品の中で何を描きたんだと親しい友人に聞かれた時に、「風にゆれるコスモス」と、ポツリと言ったそうである。そんな風に言える感性こそが、何よりも尊いものに違いない。その時からずっと、私はそんなものに憧れて、絵を描いてきたんだと思う。もうひとつのことの方は、もうずいぶん昔になくしてしまったけれど。
ときどき自分のしていることが、まったく無意味に感じられることがある。もっと現実的な判断をすべきだと考えることもある。もっと実利的なこと、勇ましいもの、声の大きいところに、すり寄りたいと思う気持ちが自分にもないわけではない。そういうものへの誘惑は、歳を重ねる毎に強くなる。でも、私はそっちに歩きたくない。弱々しくて小さく、はかないものの中にこそ、本当に大事なもの、本当に美しいものが秘められているのだという信念を、これからも守り続けていたい。
毎日慌ただしく仕事に追われて、しばらく気持ちの余裕をなくしていたけれど、ふとしたことから大事なことを思い出すことができた。自分について振り返ってみる、良い時間を持てたと思う。
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この時は勤めてた印刷会社を辞めて自営の仕事を始めた時で、後先考えずに独立の道を始めてしまって、多分に感傷的になっていたのだけど。1983年の夏からの延長線を歩いてきたことを、これからも忘れてはいけないなぁって思った。