バルト三国の旅2011(その23) 〜チュルリョーニス美術館

「杉原記念館」の他に、カウナスでお勧めしたい場所がもう一つあります。リトアニアの国民的画家であり優れた作曲家でもあるチュルリョーニスの美術館。私がカウナスへ行った一番の目的は、この「チュルリョーニス美術館」に行くことだったのです。

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今から20年以上前の1992年3月、セゾン美術館で「チュルリョーニス展」という展覧会が開催されました。まったく知らない名前の画家でしたが、親しい友人が「絶対好きになる絵だから」と強く勧められて会場に足を運んでみると・・・そこで出会ったチュルリョーニスの作品世界に、私はすっかり魅了されてしまったのです。うねるような有機的な曲線と、神秘的な輝きを放つやわらかな色彩。幻想的な物語性に満ちていて、それは素朴なお伽噺のようでもあり、気高い神話のようでもありました。私はもう夢中になって、長い時間かけて作品を観て過ごしました。そして、じっと絵の中の世界に浸っていると、何故かとても懐かしい感覚が込み上げてきたのです。

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チュルリョーニス「楽園」(1909年)/「天使のプレリュード」(1909年)

それから2〜3年後だったでしょうか。ジョナス・メカス監督の「リトアニアへの旅の追憶」という映画にも出会いました。断片的な映像と印象的な言葉が織り重なって、やがてひとつのタペストリーにように編み上がっていく美しい映像作品。その作品の中で、メカスの故郷であるリトアニアの村の風景を見たとき、チュルリョーニスの絵に出会った時の感覚が自分の内でしっくりと重なりました。

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ジョナス・メカス「リトアニアへの旅の追憶」(1972年)

チュルリョーニスの絵と、ジョナス・メカスの映画。・・・きっかけはそれだけ。でもその時から、自分にとってリトアニアという国が自分にとって特別な存在になったのです。こんなにも心惹かれるものが何なのか確かめてみたい。リトアニアのことをもっと知りたい。その大地に実際に立ってみたい・・・そんな想いがこの「バルト三国の旅」へとつながったのでした。。

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そして、ついに辿り着いた「チュルリョーニス美術館」。高まる胸を押さえつつ展示室へと進んで行くと・・・このチュルリョーニスの大きなパネルに出会って、思わず泣きそうになってしまいました。。。

チュルリョーニスが絵を描いたのは、わずか8年ほどの期間。残された作品はけっして多くはないのですが、再初期の作品から晩年の傑作まで、チュルリョーニスの作品を一同に会することができます。こんなにも充実した内容なのに入場料は200円程度。プラスいくらかの料金を払うと、館内を自由に撮影することができます。

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二度の大戦やソ連占領下の困難な時代を乗り越えて、これほどの数の作品が保管できたのは奇跡的なことだと思います。作品保護のため照明がかなり落としてあったのがちょっと残念でしたが・・・チュルリョーニスの作品は低質な紙や画材を用いられてることが多いため、作品の保全には細心な注意が必要なのです。

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チュルリョーニスの作品の一番の特徴は、その詩情豊かで物語性のある幻想的な世界。そして、木、山、鳥、太陽などの自然のモチーフが作品の重要なテーマになっています。その描き方は人間中心の西欧的・キリスト教的な捉え方とは根本的に異なるものを感じさせます。リトアニアの地に脈々と息づいているアニミズム的な世界観が根底にあるのではないでしょうか。だからこそ、私たち日本人にとってチュルリョーニスの作品は、とても親和性が高いのだと思います。

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私がとても気に入っている風景作品「レイガルダス谷」。チュルリョーニスが生まれ育ったドルスキニンカイ近郊の景色。この絵を見たとき、それが遠い記憶の中にある風景のように思えました。自分にとっての原風景であるかのような。リトアニア南部の町ドルスキニンカイは、いつか必ず行ってみたい場所。

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「ソナタ六番」と題された作品の一部。チュルリョーニスの多くの作品が、音楽から着想を得たものとなっています。チュルリョーニスの芸術家のとしてキャリアは、画家としてよりも音楽家としてスタートしました。作曲の分野でも類稀なる才能を発揮し、今日に至って高く評価される楽曲を数多く生み出しています。『リトアニアへの旅の追憶』のバックで流れていたピアノ曲は、チュルリョーニスが作曲したピアノ前奏曲をヴィタウタス・ランズベルギス氏(音楽家であり、チュルリョーニス研究の第一人者であり、リトアニアの元最高会議議長)が弾いたものでした。

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最晩年の大作、「王」。宇宙的な広がりを持った、崇高で神秘的な世界。孤高の幻視者であるチュルリョーニスまなざしには、その先にいったい何が見えていたのでしょう・・・

チュルリョーニスが精力的な創作活動を行った時期は、ロシア帝国からの統制がゆるみ、リトアニアの民族文化復興の動きが活発になり始めた時代でもありました。チュルリョーニスはその動きに大きな刺激を受け、やがて指導的存在となっていきます。「リトアニア芸術協会」の創設では中心的な役割を担い、若い芸術家たちに作品発表の場を創り出すことに奔走。また、各地に伝わる民謡や民芸を収集し紹介するなど、リトアニアの民族文化の復興運動に大きな寄与をしました。その時に湧き上がった潮流が、後にリトアニア独立への大きな原動力となったのです。チュルリョーニスが国民画家と呼ばれる理由は、彼の作品が極めてリトアニア的であり、そして彼の存在そのものが今日あるリトアニアの起点となっているからなのです。

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別の展示室には、これまでに海外で開催されたチュルリョーニス展のポスターが展示されていました。左から2番目のポスターが、東京で開催された時のもの。保存管理に特別な配慮を要するチュルリョーニスの作品は、国外に輸送しての展覧会は非常に難しいそうです。東京で大規模なチュルリョーニス展を開催できたのは、関係者の方々の大変な苦労があったのだと思います。そこに立ち会えたのは、本当に幸運な出来事でした。。

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地下の展示室には、彼のスケッチやドローイング、楽譜、書簡などの貴重な資料が展示されていました。チュルリョーニスの創作の全容を、幅広く考察することができます。

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チュルリョーニス美術館は、リトアニアの国立美術館。1921年に設立され、1944年から現在の名称となったそうです。チュルリョーニスの作品展示がメインになっていますが、リトアニアの民芸作品や企画展の展示室もあります。この周辺には、国立美術館の分館としてたくさんの博物館や美術館が集中しています。

その中で格別にユニークで見応えあったのが「悪魔博物館」。画家アンタナス・ジュムイジナヴィチュースの個人的なコレクションが元になってるそうですが、その後世界中から寄贈が集まって、とてもバラエティー豊かな悪魔像が揃っていました。怖いというより、創意工夫の詰まったユーモラスな悪魔たちが多かった印象。ちなみに悪魔博物館の地下に、魅力的なカフェ&レストランがありました。私は食事のタイミングが合わず入らなかったのですが、メニュー見たらいろんなバリエーションの「ツェペリナイ」があって、とても美味しそうでしたよ。

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ライスヴェス通りからチュルリョーニス美術館へと行く道の途中に、たくさんの十字架が立てられた敷地があるのですが、そこは「ヴィエニーベス広場」と呼ばれています。

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そこに並ぶ石像は、リトアニア独立のために犠牲になった英雄たちなのだそうです。ソ連占領時代は撤去されていましたが、再独立後に再びこの地に建造されました。中央にある記念碑は、戦地となった各地から集められた石で覆われています。文字が刻まれたモニュメントには、この日も鎮魂の火が灯されていました。〈続〉