カウナスに行ったら、必ず行っておきたいのが「杉原記念館」。"日本のシンドラー"と称される杉原千畝のいた日本領事館が、記念館として保存されています。
第2次大戦中、ナチス・ドイツに追われる避難民たちが、ビザの発行をもとめてここへ押し寄せました。彼らが生き残るための数少ない選択肢の一つが、シベリアを横断し日本経由で国外に逃れることだったのです。杉原千畝は彼らをなんとか救いたいと切望し、ビザの発行許可を何度も日本政府に求めますが、ドイツとの同盟関係を懸念した政府からの返事は冷淡なものでした。しかし杉原千畝は本国の意に背き、自らの良心に従ってビザの発行を決意します。そして欧州での戦火が広がり自分や家族の身に危険が迫る中、連日連夜、寝る間も惜しんでビザの書類を書き続けました。退去の当日も、列車に乗ってからも、ホームに詰めかける人々のために、1枚でも多く一人でも多く救えるようにと、最後の瞬間までビザを書き続けたのでした。彼の真に人道的で勇気ある行動により、約6000人のユダヤ人の命が救われたと言われています。
住居を兼ねていた旧日本領事館。館内には今も当時のデスクが残されています。このデスクで、杉原千畝は腕がしびれて動かなくなるまで、ひたすらビザ発行の書類を書き続けていました。その場面を想像すると、胸に迫るものを感じます。。
世界中から賞賛の尽きない杉原千畝ですが、日本政府の彼に対する処遇はまったく冷酷なものでした。辞令に背いたという理由で帰国後に官職を解かれ、外務省から追放のような扱いをされてしまったのです。杉原千畝の名誉が回復しその功績が再評価されたのは、残念ながら我が国の自発的なものではなく、海外からの要請によってでした。彼の消息を求めるユダヤ人たちが、日本政府に何度も粘り強い交渉をし、28年もの歳月をかけて彼の居場所を突き止めたのでした。杉原千畝は生前にイスラエルに招かれ、彼が発行したビザによって命を救われた人々と、軌跡の再会を果たしています。
裏庭から見た杉原記念館。この右側面にあるドアが記念館への入口になっています。展示室では、第2次世界大戦時の世界情勢についてのパネル展示等があるほか、杉原千畝についての15分ほどのドキュメンタリー映像を観ることができます。
旧領事館の玄関には「希望の門。命のヴィザ」と刻まれてました。絶望的な状況の中、最後の望みを託してここへ詰めかけた人々にとって、ここはまさに明日への「希望」へと通じる門だったのでしょう。杉原千畝の功績はリトアニアでは広く知られていて、ヴィリニュスにはその名を冠した通りがあったり、彼の偉業を讃えて桜の植樹が行われていたりしています。遠い国リトアニアの地に、日本の桜が咲いてるなんて。素晴らしいですね。。。(今年のニュース記事→http://www.afpbb.com/articles/-/3012632)
ちなみに、「杉原記念館」がある場所は、カウナス新市街の聖ミカエル教会よりもっと東に外れたところ。閑静な住宅街の中にひっそりとあります。地図ではカウナス駅&バスターミナルから近いように見えますが、道なりに歩くと意外に距離があります。小高い丘陵地になっていて、この長〜い階段を登って行くことになります。正直、かなりきつかった。。(^^;) 〈続〉
「杉原記念館」並びの建物の脇からカウナスの街を見下ろした景色。結構な高さでしょ?