岡寺からの坂道を下っていって、やっと辿り着いた「石舞台」。遠くからその姿を目撃した瞬間、胸が高まりました。。
何度も写真では見ていても実際目の当たりにすると、その存在の異様さに圧倒されます。古墳として本来は地中に埋められているはずのものが、何らかの理由で封土が失われてしまったと考えられていますが、未だに多くのことは今も謎に包まれたまま。
石舞台の回りはきれいに整備されていて、石室にも入ることができます。石に閉ざされた小さな空間でしばらく呆然と過ごし、遥か遠い世界の出来事に心を馳せてみました。
周りがきれいに整いすぎてるのが、ちょっと残念な気もしましたが・・・季節折々に姿を変える石舞台は、何度ここに訪れても私たちを遠い世界へと誘ってくれるのでしょう。
石舞台を後にし、自転車で走りながらなかなか見つけられず苦労した「酒船石」。小高い丘陵地の林の中にひっそりと置かれていました。私の周りでは「酒船石」と言えば「三つ目がとおる」を思い起こす人が多いようです。。(^-^)
大きさは思っていたよりも小さくて、あまりにも無造作に置かれているので、そこにあると知らなければ通り過ぎてしまいそうな石造物。
見れば見るほど不思議な構造のデザイン。酒を作る道具であったとか、天文観測に使われたとか、諸説あるそうですが、その存在は未だ謎に包まれています。近年の研究で、この丘陵地全体が人工的に造成されたものとわかったそうです。
そして飛鳥めぐりの最後に向かったのが飛鳥寺。596年に蘇我馬子によって建てられた日本で最初の大寺院。現在はこじんまりとした境内ですが、創建時の飛鳥寺は東西約200m,南北約00mという広大な敷地の大寺院でした。
本尊の飛鳥大仏は、日本最古の仏像と推定されています。火事で顔と手以外が消失するなど災難を経ながらも、その素朴な魅力を秘めた微笑を今日に伝えてくれています。
この大仏の前に座ってそのお顔を見上げていたら、住職さんが出てきてくださって「この飛鳥大仏は、1400年以上前からここで同じ場所に鎮座しておられます。聖徳太子も推古天皇も、ここで同じように大仏様に向き合っておられたと思うと感慨深いですね」と話してくださったのが心に残りました。
飛鳥寺の西門から少し歩いた先に、蘇我入鹿の首塚がありました。ここに首が埋まっているとの俗説もあります。世の趨勢を極めた蘇我氏も今は昔。周りにはのどかな畑が広がり、首塚の周りには可愛らしい菜の花が風に揺れていました。切ないですね。
夕刻の日に照らされる飛鳥寺。今回の飛鳥めぐりは、この長閑な田園風景を目に焼き付けて、ひとまずの締めくくり。(この後駅に行く道を間違えて迷った話ははしょりますね...笑)旅はまだ続きます。