一夜明け、この日は朝から飛鳥めぐり。空はまだどんよりとしていましたが、雨はすっかり上がっていました。レンタサイクルを借りて、最初に向かったのは高松塚古墳。丘稜の坂道を越えて行くと、いかにも飛鳥らしい美しい風景が広がっていました。
これがその高松塚古墳。意外な程にこじんまりとした印象。。
高松塚古墳と同じ飛鳥歴史公園内にある中尾山古墳。八角形の墳丘をもつ古墳で被葬者は不明。文武天皇陸との説も。坂を上りきったところにあります。自転車で上るのはかなりハード。
これがかの有名な「亀石」。確かに亀だ。。。(笑)。なんとも愛嬌のある、かわいい顔をしてますよね。道路から少し入ったところ、民家の並びにぽつんとあってびっくりでした。隣の敷地には地元野菜の無人販売コーナーがありました。。
「亀石」には、こんな言い伝えがあるそうです。大昔、大和が湖であった頃、対岸の當麻と川原の間に喧嘩が起こった。結果、湖の水を當麻にとられてしまい、たくさんの亀が死んでしまった。その供養として村人たちが作ったのがこの亀石なんだとか。亀石が再び西を向いたとき、災いが起きると云われているそうです。
ところで、「當麻」という言葉に、またここでも出会いました。。やはりもう一度當麻をじっくり回ってみたくなってきました。
亀石のある細道の先に、聖徳太子誕生の地に建てられた(と云われている)「橘寺」がありました。田園の中にぽつんとある光景はあまりにも地味で、「ここが本当に??」と思ってしまいます...。押し付けがましさがないところが、奈良の良いところ。
橘寺は、太子建立7寺の一つとされています。本堂に祀られるのは聖徳太子坐像。創建は奈良時代ですが火事で焼失してしまい、現存する寺社は江戸時代に再建されたものなのだそうです。見るべきものは少ないのですが、この地で幼少の聖徳太子が過ごしたかと思うと感慨深い。
境内にはこれまた不思議な様相の「2面石」がありました。私の持ってるガイドブックでは聖徳太子のことより、この二面石をピックアップしてました(笑)。
聖倉殿(収蔵庫)の前にこんな万葉歌碑がありました。
「橘の寺の長屋に吾率宿し童女放髪はあけつらむか」巻16-382(作者不詳)
・・・橘寺の長屋で一緒に寝た、あの振り分け髪の少女は、今はもう大人になっているであろうか・・・の意。なんだかちょっと(かなり?)意味深だけど...(^^;)。ノスタルジックな情感を感じる素敵な歌だと私は思う。