金沢〜能登〜ピアノ炎上〜粟津潔展(その5)

(増穂浦海岸)

午後5時。少し陽が傾いた頃に、「ピアノ炎上2008」が始まりました。
防火服に身を包んだ山下洋輔が、さっそうと登場。

 

ピアノに向い一呼吸あった後、いきなり演奏が始まりました。そして演奏が始まってすぐに、ピアノの上蓋から赤い炎が燃え上がりました。

火はあっという間に大きくなり、凄まじい勢いの炎と煙がピアノを覆います。その炎と闘うかのように、激しく、ときには握り拳を使って、鍵盤を叩き続ける山下洋輔。次第に弦を焼き切って行ったのでしょう。最後は高音の部分しか音が出なくなって行ったのだけど、燃えるピアノと山下洋輔とがせめぎ合うような場面が展開していきました。

すべてがあっという間の出来事。そして、いよいよ炎がピアノ全体を包み、これ以上の演奏は不可能という状況になって、山下洋輔はピアノを離れました。その後も燃え続けるピアノを、会場の傍らでずっと見届けていました。

ライブ演奏として「ピアノ炎上2008」は、そこで終わったわけですが、その後も、ますます激しく燃え上がるピアノを大勢の観客が見守り続けました。ピアノの一部が焼け落ちる度に大きな歓声を上げたりしながら。

山下洋輔の演奏が終わってしまうと、日常の世界に急いで戻らないといけないかのように世間話始める大人たちもたくさんいましたが、その一方で、真剣な表情でピアノをみつめてる子供たちをたくさん見かけたのが印象的でした。私の近くにいた子は(まだ4〜5歳だったでしょうか)、父親に肩車をせがんで燃えるピアノを見ようとしてました。その子の記憶の中に、この日の出来事がどんな風に残っていくのでしょうか。

途中、お寺のお坊さんがお経を上げて供養する場面があったりしながら、およそ一時間くらい、大勢の観客がピアノの運命に立ち合っていたのですが、いよいよ陽が落ちて暗くなり始めた頃合で、スタッフたちが火消しの作業に入りました。

しっかし、その消火活動が一つの見せ場でもありました。最初に1本目の消化器を吹き付けたのだけど、炎は弱まるどころかますます勢いを増すかのように燃え上がりました。そしてものすごい量の煙。火の勢いが治まるまでに、5〜6本の消化器を使ったでしょうか。

ついに息絶えたかのようなピアノの残骸・・・。
祭りのあとのような寂しさが込み上げてきます。最後にショベルカーまで投入して撤収作業。バキバキと音を立てて、燃え残ったピアノの残骸が崩れ落ちて行く様は、ちょっと切なかったです。葬儀の時に、灰になった骨を骨壺に押し込んでるときの場面を、ふと思い起こしたりしました。

さすがにこの頃には、ほとんどの観客はいなくなっていたのですが、私は最後までそこに立ち会えてすごく良かったと思ってます。その一連の出来事の全てが、「ピアノ炎上2008」という素晴らしい舞台の体験だったのだと感じました。

演奏の時間は短かったけれど、それだからこその凝縮された一瞬を楽しむことができたのだと思います。そして演奏後も大勢の人が火を囲んで一緒に過ごした時間は、遠い日のお祭りのような、なつかしくてあたたかいひとときでもありました。

暮れゆく海岸と、燃えるピアノ——。本当に美しい光景でした。

(つづく)