ドゥシャン・カーライと絵本学会

6/30の土曜日、武蔵野美術大学で開催された「第10回絵本学会大会」に参加してきました。 「絵本学会」のことはよく知らなかったのですが(すみません…)、そのプログラムの中で、ドゥシャン・カーライの講演と作品展(版画30点と絵本)があるとのことで、はるばる武蔵美のキャンパスまで出かけてみました。
★絵本学会 http://www.u-gakugei.ac.jp/~ehon/index.html

しかし当日雑用でバタバタしてたら出かける時間が大幅に遅れてしまい、しかも武蔵美のキャンパスまでの道のりは思ってた以上に遠くって、やっと会場に着いたときはカーライの講演はもう終了間際でした。でもほんのちょっとだけでも憧れのカーライの言葉を直に聞くことができてひたすら感激しました。もう、なんというか、同じ空気を吸えただけで幸せです。絵本における絵の表現方法について、とてもシンプルな内容だけれど、はっとさせられる言葉を聞くこともできました。そういう生の言葉って、ただ本とかで読むのとはまったく違う印象で、自分の内側に染み込んできます。こんな機会に立ち会うことできて本当に良かった。

そして講演後の休憩時間に作品展をじっくり鑑賞。銅版画作品だけれど、カーライの本物の作品をはじめて目にして、感動というより圧倒されました…。う〜ん、どうしてこんな作品が描けるんだろうと、ため息つくばかり。細部の緻密な描き込みと部分部分の余白の取り方に緊張感があって、画面の隅々まで見入ってしまいます。画面のどこかに中心を置いて世界を構築してるタイプの絵とは明らかに違っていて、不可思議な世界への入り口があちこちに多層的に仕掛けられています。有機的なものと無機的なものとの狭間を描いている画家だと思います。

ドゥシャン・カーライは、私の大好きな画家の一人。たくさん影響を受けました。私は子供の頃から色を使うのがすごく苦手で、美術の授業でも先生から「色を塗るまではいい絵だったのに…」と何度も言われてました。大学に上がる頃にはもうすっかりコンプレックスになっていたのですが、カーライの絵本に出会った時、「あぁ、こんな風に色を操れたらどんなに素敵だろう!」と強く刺激を受けました。そしてカーライの絵に憧れて模写をしたりしてるうちに、ある時突然、色を使うことがすごく楽しく思えるようになったのでした。カーライに影響受けただなんて、とても恐れ多くて大きな声では言えないのですが、自分にとってはその頃の試行錯誤が、その後の自分に大きな影響を与えてくれたと思ってます。
 

hon342.jpgあ、カーライへの思い入れが高じて、絵本学会の話から逸れてしまいました。そのあと講演会の第2部は「絵本表現の方法論(2)」。講師は長谷川集平さん。講演の内容は期待以上に面白く、興味深い話をたくさん聞かせてもらえました。

長谷川集平さんの作風は自分の好みからはちょっと遠いので、私はあまり作品を見ていません。でも彼が絵本表現において大変な理論家であることはよく知っています。というのは、70年代に「月刊 絵本」(すばる書房)という素晴らしい雑誌があって、その誌上で理論展開されている文章をたくさん読んでいたからです。私はその雑誌を現役で読んでいたわけでなく、80年代になってから、たまたま古本屋でみつけました。その後何度も読み返して「絵本の表現理論とは・・・?」なんてことを生意気にも(当時高校生)悶々と考えていたものです。そしてその雑誌で展開されていた「絵本モンタージュ論」をまとめた「絵本論」(松本猛・著 ※いわさきちひろの息子さんです)という本に感銘を受けたりしました。当時は絵本というものを、「子供のための」という前置きに捕われることなく、ひとつの芸術表現として確立させていこうとする熱意ある人が、とても多かったように思います。

そしてびっくりしたのですが、今回の長谷川集平さんの講演の中身の中心は、その「月刊 絵本」と「絵本モンタージュ論〜絵本論」の話でした。70年代には絵本表現の理論構築の考え方が盛んだったのに、何故かその後そうした潮流が途絶えてしまった。そういう意味で絵本の世界には空白の時代があって、その反省を元にもう一度「絵本表現とは何か?」ということを考えようと、作家や学者たちが90年代の後半になって動きはじめた。それがこの「絵本学会」につながっている、という話だったのです。そういう一連の流れを聞いて、私自身もいろいろ考えさせられました。かつて思い入れのあった世界にぐるっと戻ってきたことを、喜ぶべきなのか悲しむべきなのか。この20〜30年間、いったい私たちは何をやってきたんだろう・・・と、いろんな思いが込み上げてきます。

絵本の世界だけの話ではないです。美術も映画も音楽も、私たちの社会そのものが、同じような「思考停止」と「記憶喪失」を経験してきたように思います。単なる「懐古」ではなくて、本来あったはずの良いものを取り戻す手段として、過去の時代をみつめ直す作業は大事なことに違いありません。これからいろんな場面で、そうした「回帰」と「再生」の作業が重要になってくるのではないでしょうか。もちろんそんなこと、ほとんどの人がとっくに気づいてるでしょう。あとは行動するだけですね。他人事ではなくって。
 

※今回いろんな思いや考えが交錯してて、支離滅裂な文章でごめんなさい!
文字がいっぱいになったのでオマケの絵です。サイトのギャラリーに掲載してるのとは別バーションの「赤ずきん(習作)」。大学3年生のときの絵です。色を使うことの苦手意識が、この頃を契機に変わっていった気がするのです。