お知らせが遅くなってしまいましたが、印刷博物館P&Pギャラリーで現在開催中の「粟津潔展 expose '06」の案内チラシ&ポスターの制作をお手伝いさせていただきました。デザインは粟津デザイン室による制作で、私は文字回りを整えたり、DTPデータとしての仕上げの部分を担当しています。私がお手伝いさせていただいたのはほんのちょっとですが、とてもいいものが仕上がって、すごく満足しています。
展覧会は昨日から始まったのですが、その二日前、会場設営時に覗きに行ってきました。以下の写真は、その設営中の秘蔵映像(!)です。(くれぐれも転載などしないでくださいね)
所狭しと展示された、膨大な数の粟津潔さんの作品(・・・すみません。私は「先生」という言葉が苦手なので、心からの尊敬と親愛の気持ちを込めて「〜さん」で呼ばせてください)。その迫り来るエネルギーに、思わず圧倒されます。粟津潔さんは、あえて説明する必要もないのですが、第一線を走り続けているグラフィック・デザイナー、世界でも屈指のアーティスト。誰もが仰ぎ見る巨匠ですが、そういう肩書きをいっさい排したとしても、その作品に立ち合うと簡単には素通りできない「何か」に直面させられます。うまく形容できないのですが、現代では触れる機会の少なくなった、質感やザラつき感、あたたかさ、匂い、光、混沌・・・そういったものすべてひっくるめた存在感・・・。粟津潔さんの作品と、今日のグラフィック・デザインとは、何かが大きく違っているのです。
最近のものをすべて否定する気はないのですが、今日のデザインの主流とされるものは(というか、もてはやされているものは)、些末な部分で形を整えることにばかり余計なエネルギーを使うことが多く、それは「洗練」ということとは何かが違っていて、「キレイ」ではあっても、どこか薄っぺらい、面白みのないものが多いような気がします。一瞬のひらめきや勢い、その場の空気の中からダイナミックに「表現」へと昇華して行く指向性といったものが、最近のデザインには欠けているように思えてなりません。中身がないまま、体裁ばかりを整えたものが「デザイン」や「表現」と呼ばれ、そういったものが街中に溢れている状況は、正直言って気持ち悪いです。・・・それは、グラフィック・デザインに限ったことではないのかもしれませんが。これからの時代に求められるものは何なのか、本当に大事なものは何なのか、私自身も考え直してみたいと思っています。
会場展示の中で、私は↑このパネルの文字部分の版下を作らせていただきました。これは黒い布の上にシルクスクリーンで印刷してあります。近頃はこういう展示の文字などは、インクジェットのプリントや、カッティングシートの切り文字で済ませてしまうケースがほとんどなのですが、この文字はあえてシルクスクリーンの手法を選んでいます。そうすることで文字の質感、存在感が圧倒的に違ってくるのです。
こういうちょっとしたことにも、主催者の方々のこだわりがありますので、会場に足を運んだ折は個々作品と、その「間」の部分も楽しんでくださいね。というか、会場全体に詰まっているエネルギーを、感じていただきたいです。展覧会、ぜひ行ってみてください!
【粟津潔展 expose '06】
2006年4月29日(土・祝)〜2006年6月4日(日) 印刷博物館 P&Pギャラリー
http://www.printing-museum.org/
《粟津潔オフィシャルHP》→http://www.kiyoshiawazu.com/
*ミトン*
近ければ
是非 足を運びたい展覧会ですね。
粟津潔さんの作品は残念ながら未見ですが
血の通った温かみを感じる作品ですね。
ジャムサンドさんのこだわりのパネルも
実物で見てみたいです・・。
よこやま
>ミトンさん
あー、ミトンさんにはぜひ見て欲しいんですけどね〜。
粟津潔さんはミトンさんの地元の「現代日本彫刻展」のポスターやチラシを、
第1回からず〜っと手がけてらっしゃるんですよ!
そういった意味でも、ご縁がありますよね。
血の通った温かみ・・・世界で一番大事なものですよね!
ロッキー
展覧会、行きたいですね。日程がつけられれば。
「中身がないまま、体裁ばかりを整えたものが「デザイン」や「表現」と呼ばれ、そういったものが街中に溢れている状況は、正直言って気持ち悪いです。・・・それは、グラフィック・デザインに限ったことではないのかもしれませんが。これからの時代に求められるものは何なのか、本当に大事なものは何なのか」
今の日本が直面している現実ですね。
文学などの芸術はおろか、科学技術や教育、農業、工業、経済、などの国家規模の活動から、家庭の文化継承や躾といった末端の事柄までが抱えている、共通の問題だと思います。
問題なのは、それら我々が肝心なところで道を間違えた事実を認めたがらないことです。
そろそろ資本主義社会の弊害にも気づきはじめているのに、恩恵にばかり感謝してへりくだり、本当に正しいものは何なのか、リスクを負っても実行しなければならないことは何なのか、はっきり言わず、実行もしないことです。
今更マルクスでもありませんが、左右は別にして、イデオロギーや宗教の大切さを我々は考え直すべき所にいるんだと思います。
よこやま
>ロッキーさん
ロッキーさんのコメントを読んで、ずっと前に読んだ、浅田彰の「歴史の終わりと世紀末の世界」という本を思い出しました。歴史とは「異なるイデオロギーを掲げる者同士の闘争の過程である」とするならば、歴史は既に終わったのではないか・・・という問題提起をする内容でした。共産主義が破綻した時点で、実は資本主義の理念も死んでしまった。政治的なイデオロギーの対立の時代は終わってしまい、今後あるのは経済的なイデオロギーの対立しか存在しなくなる・・・10年以上前の本ですが、まさに今がその通りの世界ですよね。
理想や理念って、やっぱり大事ですよね。そういう言葉を日常の中で口にすると、回りからけげんな顔をされてしまう、嫌な世の中ですが。そういうものだけでは、確かに世の中動いて行かないのでしょうが、肝心な軸がないところで、行き先の見えない「状況」ばかりが進行して行くのは、やっぱり気味が悪いことです。そう言ってるだけでは仕方ないので、せめて自分の関わる仕事の中では、掲げる理想を大事にしていきたいです。・・・って、自分への自戒を含めての言葉ですが〜(笑)
お時間ありましたら、ぜひ展覧会、足を運んでみてください!!
ロッキー
「理想や理念って、やっぱり大事ですよね。そういう言葉を日常の中で口にすると、回りからけげんな顔をされてしまう、嫌な世の中ですが。」その通りだと思います。
以前(おお、もう17年も前か)、「ヒストリーズ ラン」という、10代による10代へのメッセージマガジンが刊行されたことがあります。2号で廃刊(笑)になりましたが、その発行の会議に参加したりしていました。
そのメッセージ(詩)の中に、今でも時々私の行動指針になった言葉がありました。
その女の子は、詩の中で語りかけていました。
「前部略~
そんなものは捨てろと言うなら、なぜ、理想の素晴らしさを教えてくれたのですか。
しょうがない。そんな言葉であきらめるために、今までがんばってきたわけじゃありません」
今になって思えば、この言葉にどれだけ背中を押してもらってきたことか。
人それぞれ、こんな言葉を持っているのではないでしょうか。
日々の行動で示さなければ。
展覧会、行きたいですね!!
よこやま
>ロッキーさん
「ヒストリーズラン」って、どんな雑誌だったのでしょう。見てみたかったです。
2号で廃刊って、寂しいですね〜。でも17〜8年前って、ちゃんと主張を持った、面白い雑誌、いろいろありましたよね。今は買いたいと思う雑誌ってほとんどないのだけど。
その女の子の言葉、言葉に響きますね。
子供の頃には、回りの大人達から「夢を持て! 大志を抱け!」って言われる続けるのに、ある年齢になったら「いつまで夢みたいなこと言ってるんだ!」って苦言吐かれたりするのだから堪りませんよね〜(笑)。
そういうつまらない大人にならないように、その女の子との言葉に託されたもの、ずっと大事にしていきたいですね。