続いて、モニュメントの銅板の部分の写真をアップしてみます。なかなか撮影するタイミングがなかったり、いざ撮ろうと思ったら人が多すぎたりで、あまりうまく撮影できませんでしたが・・・とりあえず雰囲気だけ見てやってください。
上の写真を見ていただくと構造がわかると思うのですが、このモニュメントは正面から向かってコの字型になっていて、その左右、正面の3面に銅板が設置されています。この銅板に、大阪空襲で亡くなられた方(その内名前がわかった方)およそ9000名のお名前が刻まれています。今回のこの記念碑には、○○○○○名の方が亡くなられた、という数字だけではなくて、空襲の犠牲者ひとり一人のお名前が刻まれたことに、大きな意義があったのだと思います。
式典に訪れたご遺族の方達が、名盤の中に御身内の方の名前を見いだして喜んでいらっしゃる姿を見て、私自身もとても胸が熱くなりました。御身内の名前の部分を、携帯のカメラで撮影している方、指差しながらご遺族の方同士でずっと何か話し込んでいる方、涙を浮かべて銅板の名前の辺りを何度も触っていらっしゃる方・・・・いろんな方がいらっしゃいました。こうやって記念碑に名前が刻まれたとが、ご遺族の方たちにとって、特別な意味があるだと、あらためて知ることができました。
戦争での犠牲者ひとり一人のお名前が記念碑に刻まれるケースは、沖縄の平和記念公園の「平和の礎」(沖縄戦の犠牲者すべての名前を刻んでいる)以外に、全国でもほとんど例がないことらしいです。この記念碑が一つの契機となって、これから全国のいろんなところに同様の記念碑が建設されていけば願わずに入られません。
このモニュメントのトータルデザインは粟津潔先生。私がお手伝いさせていただいたのはこの銅板の版下作成の部分です。数年前から準備が進められ、この度完成の日を迎えました。およそ9000名もの名前を、デザイン設計に基づいて配置していく過程は、言葉では説明しきれないほど地道で忍耐のいる作業でもありました。作字しないといけない旧字もたくさんありましたし、"万葉がな"などという非常にイレギュラーな文字を作成してデータに入れ込んだりもしました。データ上の不備が起きないことに細心の注意をはらいながら、全体のバランスを考慮ししつつ、文字の力強さと読みやすさを何より大事に考えて、時間をかけて仕上げていきました。
印刷物のデザインと違って、こういったモニュメントの制作においてはデザインが先に立ちすぎると、かえって陳腐なものになってしまいます。かといって、ただ文字を並べるだけでは印象が希薄になるし。そのさじ加減というかバランスの取り方が一番難しかったように感じました。人には見えにくい裏方の仕事であっても、自分が今持っている技術が少しでも役に立てたのだとしたら、これ以上にうれしいことはありません。
ここを見てくださった方、"ピースおおさか"に行かれる機会がありましたら、ぜひこのモニュメントにも足を止めてみてください。そしていつか感想など聞かせていただけたらとてもうれしく思います。
■ピースおおさか (財団法人大阪国際平和センター)
大阪府大阪市中央区大阪城2番1号 TEL (06)6947-7208
http://mic.e-osaka.ne.jp/peace/
s-kai
すごく有意義なお仕事をなさったんですね。
山形の銅版が大阪で重大な任務についてるとは…。今度大阪に行った時には、見に行きますね。
よこやま
>s-kaiさん、うれしい言葉かけてくださってありがとうございます。
今回私自身は、本当に地味な裏方の役に徹したつもりですが、
こういう有意義な仕事に関わらせていただいて、本当にうれしく、幸せに思ってます。
私も生きてる間に一つくらいはいいことしたかなぁという気になれます(笑)
一連のことが山形を経て、こうやって立派に銅版に仕上がってるのは感儀深いです。
そういえば、s-kaiさんとは、山形のことをここで話題にしたのが最初でしたね。
物事や、人のつながりって、不思議なものですね〜。
s-kai
そうでした。最初は「山形」という文字に惹かれてこちらにお邪魔したんですよね。考えてみれば、横山さんはいつも山形について書いているわけではないし、すごいタイミングだったなと(最近ではすっかり、入り浸ってますが…)。
モリシー
銅版の写真見たとき、想像してたより大きくて驚きました。これだけの方のお名前を誤字のないよう(しかもデザイン面も考えつつ!)作成するなんて、ものすごくプレッシャーがあったのではないでしょうか。ホント、すごいと思います。
Ken E Bee
日本の美を支えてきた大きなひとつの要素は、まちがいなく、職人技、だと思います。このブロンズ版しかり、ですね。職人体質は、しかし、管理化されてゆく、というより、されまくった社会、経済構造の中では、なかなかむずかしい立場になってゆくような気がします。手間をかけて(=ある意味お金をかけて)いいものを見せてゆこう、という意識やそれをいいものとして見る事のできる「目」がいまや極端に鈍感になってゆきます。流行、すたり、の消費社会の流れの中で。しかし、文化とはきっと手作りで、その手作りのすばらしさは、やはり、手を汚して、手を鍛えて、はじめて成り立つものであると今回改めて確信したしだいであります。
写真、よくとれてますね。
よこやま
>s-kaiさん
いえいえ、こんな面白みのないブログでよければ、ぜひ入り浸ってください(笑)
私はmixiとブログ始めたばかりの時に、「山形」という言葉だけでs-kaiさんが訪ねてくださったので、mixiって本当に面白いって思ってしまいました。山形の写真、まだいろいろあるので、また機会みつけてアップしてみますね。
>モリシーさん
銅版、本当に大きいのです。1枚が天地左右180センチもあるのです。そんな大きなものを、PCの小さなモニター上でレイアウト作業していったので、仕上がりのイメージがなかなか掴めなくて大変でした。いろいろとプレッシャーも大きかったのですが、でもその分出来上がった時の感動も大きかったです。
こうやってモリシーさんに作品見てもらえたり、私が装丁デザインした「悪霊」の本を買ってもらえたり、こういうこと全部mixiのお陰ですね。うれしいです。
>Ken E Beeさん
そうですね、手仕事でしかできないこと、手仕事だからこそできること、最近もいろいろ考えさせられます。いくらデジタルの技術のみを高めていっても、どうしても代替えできない領域が残るんだと思います。手を動かす作業を怠けてしまうと、ますますその隔たりが大きくなっていく危機感を感じます。もうこれ以上淡白な世界観に盲進していく状況に流されたくないので、自分なりにあがいたりしながら、なんとか踏みとどまりたいです。
今回のモニュメントは制作は、デジタルの工程と、職人的な手仕事の領域とがうまい具合に絡み合えた成果だったと言えるのではないでしょうか(土方仕事を含め・笑)。工程の中でPCも必要でしたが、アナログ的な作業や判断が満載でしたよね。お陰さまで私も鍛えられました。やっぱり手作業や、現場の判断が一番大事なんだって、痛感しました。私自身、自分を支えているのはアナログ時代に培った技術がほとんどだと思っているので、もう一度自分のそういった足許をちゃんと見つめ直したいって、思いましたよ。今回の仕事でも、シルクやってみても、たくさん刺激受けました。ぜひまたご一緒させてください。
モリシー
版下工程って昔と違い今ではパソコンで出来るんですよね(DTP?)。ソフトを使いこなせることも大事なんでしょうが、業界での経験とかコミュニケーション力とか、たまには力技とか(笑)そういうのもとっても大事なんでしょうね。
印刷・出版の世界とは縁遠い生活を送っておりますので、実際お仕事に携わってる方の体験談(やり甲斐とか苦労話)、大変興味深く読ませて頂いてます。これからも楽しみにしてます。
あ、あと『悪霊』。実は以前から書店に立ち寄る際に「悪霊探し」してたんですけど(笑)、なかなか見つからなかったんですよ。やっと昨日発見しました。
よこやま
>モリシーさん
印刷物含め看板でも何でも、版下と呼ばれるものは、今日ではほとんどPC上でつくりあげます。PCで作業するようになって良くなったこと悪くなったことそれぞれありますが、とにかくそういうワークフローになってしまったので、PCを使いこなすことは不可欠なんです。でも印刷という分野に限って言えば、PCでの工程のあとには、いろんな現場判断が必要になったりします。ここだけの話(?)、印刷の世界は力技だらけです(笑)。お客さんに見せられないこといろいろしてます。まぁそういうのが、また面白かったりするわけですが。
モリシーさんも本の周辺の仕事向きかもしれませんね。でも好きなことを仕事にするのは本当に大変。日常の中での、自分の逃げ場を失いますから(笑)。
「悪霊」みつけてくださって本当にありがとう。とてもいい本ですので、ぜひ楽しんでください。値段高くってごめんなさいね。
匿名
あ